1. 変な店 COCOKARA
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  3. 3分でわかる!【福島県の会津地方って?】

3分でわかる!【福島県の会津地方って?】

【 地理・気候・産業・交通 】

会津(あいづ)とは、福島県を3分割する「会津」「中通り」「浜通り」の3つの地域の1つ。
人口29万人。『古事記』によれば相津と書いた。
面積は広大で、愛知県や千葉県がすっぽり収まるほど広い。

中心地は「会津若松市」人口12万人。
会津若松市は江戸時代には会津藩の城下町として盛え、現在でも若松城(鶴ヶ城)や白虎隊など、歴史上の事物が観光資源として有名である。その他にも「こづゆ」などの文化的な特色、「赤べこ」などに代表される伝統工芸などにより、数多くの観光客を集める。

冬には豪雪地帯となるが、逆に夏季は高温となるため、会津高原や裏磐梯などの高原での避暑、猪苗代湖の湖水浴が盛んとなり、アウトドア地帯として賑わう。
盆地を中心に稲作が盛んで、日本有数の穀倉地帯である。
盆地の周辺ではそばの生産が多く、喜多方市山都町や猪苗代などに代表されるそば所もある。
農産物の他の主な産業は、会津漆器、観光産業、酒造業、など。
交通手段として、鉄道は「磐越西線経由」または「会津鉄道経由」、バス・車では、磐越自動車道、国道49号線、国道121号線にて会津に入る。東京より約3時間~程度。

【 会津人の特徴 】

「純朴」「愚直」「保守的」会津人の気風を表す
「会津三泣き」が有る

【 歴史 】

戦国時代から「蘆名」氏の領国であった。
その後「伊達政宗」「蒲生氏郷」「上杉景勝」、再び「蒲生秀行」「加藤嘉明」と藩主が変わり、寛永20年(1643年)に「保科正之」となる。保科氏は3代正容のとき松平に改姓し、徳川将軍家親族の名門として名実ともに認められるようになった。
以後、保科氏の子孫である会津松平家が治めた。家格は親藩・御家門で、家紋は会津葵を用いた。
旗印は漢字1文字で「會」。

9代容保は、文久2年(1862年)京都守護職となり、更に新撰組を麾下に置いて(新撰組は、その後会津戦争まで会津藩の隷下にあった)会津藩士ともども尊攘派志士の取り締まりや京都の治安維持を担った。 大政奉還、王政復古を経て慶応4年(1868年)戊辰戦争が勃発した。
会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。会津藩は奥羽越列藩同盟の支援を受け、庄内藩と会庄同盟を結ぶなどして新政府軍に抵抗したが、会津若松城下での戦い(会津戦争)に敗北して降伏した。
この戦いで「白虎隊の悲劇」が起こった。

アクセス

アクセス COCOKARAへ行く方法は?
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電話 0120-260-651 0120-260-651 お問い合せ お問い合せフォーム
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