▼磐梯筍
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磐梯山周辺で採取される「細筍」。5月〜6月が旬で、収穫できる場所は磐梯山の周辺で採取される。
この時期の「筍採り」は大変楽しい“山の娯楽”である反面、“遭難”や“熊と遭遇する”など大変な危険も伴う。
筍群生地では、我を忘れて帰り道を見失うことがあったり、冬眠から醒めた熊の活動時期とも重なるためでもある。
しかし、筍収穫愛好者は多く、採取した筍で自家製缶詰を制作するなどして、保存食として食べることが一般的である。
細筍である「磐梯筍」は、「孟宗筍」と違い穂先を食べるため、柔らかく美味しい。
料理方法としては、「味噌汁」や鰊と一緒に「煮物」などで食べることが地元では一般的である。
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▼三五八
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今、話題の「塩糀」の事で、長期熟成したもの。 福島県、山形県にて昔から作られている。
塩3:米5:糀8の割合にて仕込み、1年間程度ねかせ熟成したもの。発酵食品であるため、塩味と米の甘味とが絶妙な味わいを出す。
主に、漬け物床として「きゅうり」「蕪」など季節の野菜の即席漬けとして重宝する。
また、今回の「塩糀ブーム」にて様々な調理法が紹介され、今後も万能調味料として新たな展開が期待されている。
洗って切った野菜に少量の三五八を付けて、最低3時間程度の時間を冷蔵庫で漬ければ、美味しい三五八漬けとなる。
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▼菜種油
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昔から会津では「菜種」の栽培が盛んで、太平洋戦争前後には菜種油を製造販売している小メーカーが多く存在した時代がある。 現在では、菜種の栽培自体は無くなってしまったが、製造メーカーが数社残っている。現在「菜種油」と云えば白い「白絞油」が一般的であるが、会津では未脱色の茶色い「赤種(あかだね)油」が一般的である。「赤種油」の特徴としては、揚げたタネの“色つきが良い”や“香りが良い”などの特徴が有るため、年配者を中心に「赤種油」のファンも多い。
現在でも菜種油を製造している会津若松市内の「ひらいで」では、「北海道産菜種」を原料として実に濃い菜種油を販売している。一度試してみる価値あり。
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▼味噌
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会津は味噌造りに大変適した自然環境がある。
気温の寒暖の変化が、発酵を進める上で大きい要素であるためだ。気温と発酵には密接な関係があり、発酵を進めなければ成らない時期と、発酵を停止しなければ成らない時期が存在する。また、綺麗な水が豊富に有ることも大変重要である。
全国に様々な味噌が有る中で、糀も「米」「麦」「豆」など様々ある。東北の味噌は、「米」の主産地なので概ね「米糀」が主流である。
大豆と糀の割合は、大豆1:糀0.8〜1.5程度の品が一番多い。
糀の割合が多い程、“甘味”が強くなるが、発酵が進み水っぽく水分の多い味噌となる。
甘い味噌は、味噌を直接塗り食する場合に適している。 また、しょっぱい味噌は、味噌汁などに適している。
以前は、「三年味噌」などと云い、色の黒い品が好まれた時期もあったが、現在では、“綺麗なやまぶき色”の一年程度ねかせた品が好まれる。 しかし、近年の地球温暖化の影響か、夏場の高温期が続くため、発酵が進んでしまい“やまぶき色”に保つ事が難しい。
会津味噌は糀の粒が残る(見える)味噌が一般的であるが、近年は糀が見えない様に擂り潰した品も多い。
また、大手メーカーでは味噌を「袋詰め」の際にアルコールを添加し、酵母菌を殺し発酵を止めることが普通である。これは、陳列中に発酵が進みガスが発生し、袋を破く事を防止し、色が変色することを防ぐためである。
会津では、アルコールを添加するとアルコール臭が残るため、アルコールの殺菌を行わず、酵母が生きた状態で販売をしている所がある。無論そのため、陳列や保存に注意を払わなければならない。しかし、アルコール無添加の為、酵母菌が生きており食品機能性が高い味噌を食べる事が出来る。これもスモールメットである。原料大豆は主に国産大豆(青森県産などが多い)を使用し、食味と肌つやが良い。
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▼会津地鶏(会津養鶏協会HPから引用)
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会津地鶏の詳しい由来は定かではありませんが、平家の落人が愛玩用に会津に持ち込んだものが広まったといわれています。
会津地方には、古くから受け継がれてきた五穀豊穣・災厄除去を願う郷土芸能として「会津彼岸獅子」があります。この「会津彼岸獅子」の獅子頭の羽装に使われていたのが、会津地鶏の雄(オス)の黒色の長く美しい尾羽です。
会津の人々は、この豊作と家内安全そして春の訪れを喜び合う古式ゆかしい伝統行事に、身近な「会津地鶏」に親しみを込めていたと感じることができます。
大変美しい羽装を持っているため観賞用として飼われており、その黒く長い尾羽根は1570年代に伝承された郷土芸能「会津彼岸獅子」の獅子頭に使用されてきました。 このことから少なくとも450年以上も前から会津地方にのみ生息していた地鶏といわれています。会津地方は鶏の飼育がさほど盛んではなかったため、他の鶏との交配が行われず純粋種が維持されてきたと考えられています。
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