先日、我が家の蔵の中から、明治時代の古い本や雑誌が色々と出て来ました。 その中に地図が1枚あり、表紙には「 臺北大稲埕艋舺平面圖」と書いてありました。 残念ながら何と書いてあるのか無学な私には読めませんでした。
何とかパソコンのお世話になり古い漢字を読んでみると(たいほく だいとうていまんか)平面図 と書いてありました。
「なるほど!台湾の地図か!」と判り検索してみると、日清戦争後(明治中頃)から日本統治の時代があったため、その頃の地図で「台北」の地図の様です。
少し興味が出て、色々と検索をしてみると、明治時代の台北の街の町名に「日新町」という記述が在りました。(現在当店の住所(会津若松市日新町)と同じ町名です。)
現在では町名は変わっていますが、明治のこの頃には台湾人の方々が多く住む通りだった様です。
当店の住所である「日新町」その名の由来は、江戸時代に会津藩の藩校(武士の学校)であった「日新館」と云う名前から取られたと思います。
そこで今度は「日新」と云う漢字はどう云う意味の言葉なのか?と、検索してみる事にしました。
すると、中国の教典の中にある「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」と云う言葉から来た様です。
意味は「今日の行いは昨日よりも新しく良くなり、 明日の行いは今日よりも新しく良くなるように、修養に心がけねばならない。」と云う意味だとか。
一枚の地図から"興味"は様々に広がって行くのでした。
Ishii (2015年5月14日 16:44)
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