今日は昨日と違い、うって変わって良い晴天に恵まれ、気持ちの良い一日でした。 若松市内のあるお客様(事業所)のへ配達に行くと、近くにある史跡の脇を通ります。 それは、「藩校日新館の天文台」と看板が建てられた、高さ10m程の石垣積みの高台です。
「天文台ということは天体観測を会津藩の学校で教えていたの?」などと深く考えもせず、でも、少し不思議に思って居りました。 今では建物は無く石垣だけが残り、祠があるのみ
今では「藩校日新館」(会津藩の武士教育の場)は、県立高校に姿を変えてしまいましたが、この「天文台跡」だけは、元の場所に残されています。 調べてみると昔は、「暦」という(今ではカレンダー)ものが生活の中で大変重要であったとのこと。
無論、今でもそうでは有りますが、作物の植え付け時期を決めたり、神事や奉り事の元になったりと、生活の中で欠かせない存在であった「暦」。 無論全国各地でも作られていたそうですが、細長い日本では地方によって季節が違うため、修正作業がどうしても必要になるとの事で、ここ会津を中心とした北日本の「暦」を会津で作っていたらしいのです。 その「暦」を作るためには「星座観測」を行う必要があったということのようです。そこに「和算(数学)」や「天文学」の技術が重なりやっと「暦」が作れるらしいのです。
昔々は作ること自体に大変な労力を要したのでしょうね。 今の時期は、頻繁に来年のカレンダーを頂く機会が多く、特に感慨もなく接していましたが、先人の労を知ることで少し認識を新たにしました。 当店でも今年も11月1日からカレンダーを配り始め、いよいよ残り150部を切ってきました。 現在お米をご注文の方には、もれなく同梱させていただいております。
Ishii (2011年11月26日 22:25)
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