私達の棲む町内の祭が大勢の方々の協力もあって無事終わり、ほっ!とした反面、少し残念な事も有りました。
それは、今年から中学生になった下の娘が「私は今年はお祭には行かない!」と言ったことです。 子供の頃の私にとっての祭は、「年に一度の特別な日」だったからです。
朝からそわそわして、学校から急いで帰って来ると自宅の前の道路がこの「特別な1日」だけは、別世界の様に変わるのです。
その頃の縁日には今では見ることの無い露天が、いろいろ有りました。 花火屋・・30種位の花火を一つずつ選んで買うことが出来ました。
ハッカパイプ・・色々な容器が選べて、ハッカを詰めて貰いました。
樟脳(しょうのう)舟・・セルロイドの船の後側に樟脳を挟み、水に浮かべると走るもの。
ヤドカリ屋・・洗面器毎に大きさの違うヤドカリが並んでおり、“大人のこぶし大”のものは高価でした。
地球ゴマ・・ジャイロ効果のおもちゃ。(調べたら今でもアマゾンで販売していました。)
十徳ナイフ・・アーミーナイフの真似品で、ガラス切りのパフォーマンスに夢中になりました。
他にも「型ぬき」「鯉の引っかけ」「ミドリガメ」「ヒヨコやウサギ」など、まだまだ他にも有りました。 やがて夜となり、いやいや寝床に入っても、外の人々のざわめきや、ヘリウムのボンベから風船に詰める音などを聞きながら、やがて眠りに就きました。 あの頃は、今のように「いつでも探せば買える時代」では無かったので、“特別な日”になっていたのかも知れません。
また、自宅の前に縁日が来ることで、まるで自分に為に開かれているような錯覚をしていたのかも知れません。 時代の変化と共に祭も変化してしまったのでしょうね。 自分の子供達にも、自身が体験してきた感動を伝える様にと努力してきたつもりでしたが、やはり自分と同じように感じて貰うと云う訳には行かなかった様ですね。
娘にとっての「特別な日」とはどんな日になるのか?は、まだ随分先になってみないと判らないかも知れません。 しかし、変わらないものも、在ります。 それは子供達が”輪投げ”をしたり、”金魚すくい”をしたり、“クジを引く”瞬間の“真剣なまなざし”です。
どんな子供もその瞬間は、”真剣”そのものです。 このまなざしを見たいが為、「素人テキ屋」をしているのかも?知れません。
Ishii (2011年7月 5日 23:13)
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