今朝、朝食中の子供達との話です。(前後の話は忘れてしまいましたが・・・) 私 「昔の遊びは、意外と残酷だよね。‘花いちもんめ’とかさ~。‘通りゃんせ’とかさ~。」
といいながら、‘通りゃんせ’を歌いながら遊び方を披露し、子供達が遊んだであろう遊び方と共有しようと思ったら、 子供「そんな遊び知らないし~」と一言。
私 「えっ、知らないの・・・」と、言葉を詰まらせてしまいました。
店主に聞くと、店主は私と同じように遊んだ様子。
いつから、この遊びをしなくなったのでしょう。 そんなこんなで、いつものごとく‘通りゃんせ’をWikipediaで調べてみました。
今まで知らないことが掲載されていました。こんな意味があったんだとビックリです。 下記はWikipediaからの引用です。 民俗学的考察
民俗学的見地から見る場合、最も注目すべきは「七つのお祝いに お札を納めに参ります」との一節であろう。古来から、7歳は男女の別が備わり社会の仲間入りをする年齢、とみなすのが全国共通の習慣である(数え年の7歳は、現代では満6歳になる年度を指し、現在でいえば義務教育が始まる1年前の年齢に相当する)。 乳幼児死亡率の高い昔は、子供が7歳まで生きることが難しかったため、無事な成長を願う儀式が必要とされた。そのなかで比較的多いのは、「赤ちゃんが生まれた直後、紙を人型に切って神棚へ祀り、7歳までの守り神とする。7歳の宮参りになると、それを氏神へお返しして、社会の仲間入りをする」というパターンである。かわらけの欠片や米(餅)を包んだおひねりといった古態もあるが、開けた地域では氏神のお札を用いることも多い。 つまり、7歳まで無事に育った子供は、庇護してくれた守り神をお返しする通過儀礼を経て、社会の一員として認められるようになり、同時にそれは、今まであった神佑を断ち、神霊の庇護なしに生きていかねばならないことを意味する。ゆえに「行きはよいよい、帰りは怖い」のである。 そのほか、生け贄にささげるために神社に行ったと言う説や、遊廓に行った男が(行きはよいよい)遊女に梅毒などの性病をうつされた(帰りはこわい)という説もある。 だそうです。
意味も知らないで子供の時遊んでいましたが、なかなか奥が深いですね。
Ishii (2011年6月 3日 20:47)
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