2~3日前の今週の初めは、みぞれや雨が降る寒い天気でしたが、今日はやっと日が差す暖かな春の陽気となりました。 テレビでは県内各地の桜の名所が、震災の影響で例年に無く観光の人出が少ないと報じています。
特に中通り地方、福島市の「花見山」や、三春町の「滝桜」などは人出が少ないため、例年は“灯台もと暗し”の地元の人にとっては、“観桜の絶好の機会だね!“と話しています。 会津若松市では会津若松城(鶴ヶ城)が桜の一番の名所となっています。
現在のところ、桜の花は未だ二~三分咲きの様子です。 今週末の24日(日)には、会津若松市に避難されている方々へ向けて、「おもてなしプロジェクト」として色々な企画が実施されるようです。 例えば「夜桜のライトアップ」をはじめ、「鐘撞き(復活の鐘)」「会津応援隊による応援」「よさこい踊り」「さくら御輿」「絵ろうそく点灯式」等の様々なイベントが開催されます。 また、私の知人グループでも「秘密の鶴ヶ城探検隊」という名称でイベントを行います。 「桜の花の下で一緒にお城を探検しませんか?」
日時:平成23年4月24日(日) 9:30集合
10:00 スタート~12:00 解散
集合場所は、「会津若松市役所大手町第2庁舎北入口」(大熊町役場会津若松出張所・旧会津学鳳高校)
服装:動きやすい服装でお出かけください。※雨天の場合は中止。参加費無料。 例年と変わりなく咲いて、その美しさで被災した方々やわれわれの心を癒してくれることと思います。 やっと二分咲き程度で赤く成りつつある鶴ヶ城祉の桜
「おもてなしプロジェクト」については、
会津若松市観光課 http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/ja/kanko_odekake/news/index.htm
Ishii (2011年4月21日 16:17)
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現在、会津若松市には避難指示のため、浜通り地方の大熊町から約千名以上の方々が避難されています。
避難者の方々は主に、東山温泉などの宿泊施設を中心に滞在されているようです。
役場機能も当地に移転し、近隣の廃校になっていた小学校に大熊町小・中学校も開校し、入学式も行われた様です。 今日午前中に、私も所属する「ボーイスカウト会津地区協議会」から“新品Tシャツ”数十枚程を、援助物資としてお届けしてきました。 学校の体育館が支援物資の配給所となっており、“フリーマッケット会場”の様に色々な品物が所狭しと並べられ、一時避難の方々が自由に受け取れる様に配置されていました。 受付のテーブルには、写真のような貼り紙があり、未だに不足している品目が書かれていました。
・ はみがき粉・綿棒・靴下(男性・女性・子ども)・マタニティ下着など、と色々な品名が有りましたが、今日は特にシャンプー・リンスが足りないとの事でした。 恐らく毎日、この要望リストは変化して行くのでしょうから、希望の品がリアルタイムに提供されれば良いのでしょうが、現実は中々難しいのでしょうね。ボランティアセンターのHPを見ると、物資の受付を始めたり、また、すぐ中止したりと大変な調整作業が必要なようでした。 参考URL http://www.awshakyo.or.jp/ 会津若松社会福祉協議会 http://blog-okuma.jugem.jp/ 大熊町ブログ
Ishii (2011年4月19日 16:59)
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今日、庭で‘アリ’を1匹発見しました。
「おっ!‘アリ’だ!」と声に出てしまうほど、嬉しくなってしまいました。 会津はここ数日の暖かさで、梅が咲き始め、桜も咲き始め、アリも土から出てきて、カエルも出てきて、ツクシもでてきたりと、急に春になりました。
寒い冬とは“さようなら~~~”です。 今年は「福島市の花見山(山が桜で覆われます)」「三春の滝桜」「鶴ヶ城の桜」「会津の石部桜」の『県内の桜を見て回ろう~』観光ツアーを計画しています。
まずは花見山の桜をどうぞ。
携帯で取った写真です。
Ishii (2011年4月18日 20:05)
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この所、やっと春らしい暖かな日となりました。
昨日は最高気温が5月なみと暖かく、“梅の花”が咲きました。 会津城(鶴ヶ城)“さくらの花”は未だ蕾も硬そうで未だ1週間程は掛かるかも知れません。 去る3月9日のブログにこの画像を載せましたが、あの頃は雪がほぼ一面積もっており、風もとても寒かった日でした。 あれから約40日程が経ち同じ田んぼを撮影しました。 ご覧の通りすっかり雪は融けてしまい間もなく「田起こし」も始まりそうです。
Ishii (2011年4月16日 20:18)
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現在福島県は、皮肉にも世界中の誰もが知っている"世界のFUKUSHIMA"です。
この元凶の原子炉を廃炉にするには、早くて10年、他の専門家によれば数十年、他国の専門家は100年・・・とまで云っています。
私達素人はどんなふうに収束させるかは良く分かりませんが、そんなに簡単に収束する訳ではない事は分かります。 現在1000人以上の方々が現場で毎日過酷な作業をしています。もちろん、地元で自らが被災し家族を失い、また、消息不明な家族を捜すこともできないまま、現場で作業している方もおられます。心身共に辛いと思います。 その様な中今私が思うことは、現在は私達(事故発生の為に今まさに関わっている方々)が対応していますが、これから長い年月を誰かが管理及び作業をしていかなければならないのですが、いったい誰がこれを引き継いでくれるのかと云うことです。 他国で云う100年としたら、まだ生まれていない人たちにも、お願いしなければならなくなります。
他県では福島県の車と云うだけで受け入れを拒否されていると云う現状も少なからずある中で、これから、いったい誰が福島の処理現場に行ってくれるのでしょうか。また、国民の皆さんが、これから育っていく我が子をそこに向かわせようとするのでしょうか・・・。
(本当に悲しい現実で、「福島」ナンバーの車は他県ではガソリンスタンド入店が断られることがあるそうです) 私達はこれを機会に、広い意味での消費を考え直し、原発には頼らない生活を確立していかなければならないと思います。
まず1人1人ができるエコライフをすることはもちろん、研究者の方々には新しい安全なエネルギー開発をドンドン進めてもらいたいと思います。
そして、これから育っていく子供達や生まれてくる子供達に安全で安心な日本残してあげたいものです。
自宅の梅です。昨日までは'蕾硬し'だったのですが、今日は梅が咲き始めました。
Ishii (2011年4月15日 18:14)
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