会津若松市のシンボルである若松城「鶴ヶ城」の姿が消えてしまいました。 戊申戦争(明治維新)の時に、若松城は約1ヶ月の激戦が行われた為、石垣だけを残して天守閣は、戦後取り壊されておりました。 明治7年頃の若松城、砲弾にさらされボロボロの状態
現在の鶴ヶ城は昭和40年に今の姿に復元されたのですが、その後40年以上経過し、雨漏りなどの老朽化が進み、今回大修理を行うこととなりました。
今まで在った屋根瓦や鯱(しゃちほこ)などが全て取り外され、約1年間をかけて本格的に修理作業が行われます。 そのため巨大な足場が組まれ、天守閣がすっぽり覆われてしまいました。
まるで「巨大ロボットの格納庫」の様相を呈しています。
Ishii (2010年6月12日 12:07)
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